妙雲蘭若の沿革(1F)
妙雲蘭若沿革(1F)
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妙雲蘭若は、近代の高僧・印順導師(1906〜2005)によって創建されました。民国52年(1963年)の初秋、導師は嘉義仏教会の招きで5日間の講経を行い、それが縁となって同年の晩秋にこの地を購入し、庵を結ぶことになりました。蘭若は嘉義市の郊外にあり、日本統治時代には大崗山派の義敏上人がここに庵を結んで難を避け、その後、台湾の天龍寺で布教した日本の禅僧・南天謨禅師もここに住しました。雄大な山容や秀麗な景観こそありませんが、「斯れは是れ陋寺なれども、惟だ吾が徳のみ馨し」の言葉のように、飾らない素朴な道風をたたえています。
民国53年(1964年)5月26日、釈尊の聖誕の日に、印順導師は蘭若で「掩関遥寄」を著し、諸縁を捨てて静修に沈潜する決意を表しました。関房に入るとすぐに『説一切有部を中心とする論書と論師の研究』の執筆に取りかかり、インド仏教の時代区分を提示しました。その中心となる論述が大乗三系説です。この書は導師のインド仏教研究の要となるもので、以後、関連する専著が次々と著されました。その論はいずれも正鵠を射た重みのあるものです。導師が来台後に「インド仏教研究」を行った重要な時期こそ、この妙雲蘭若での閉関の歳月でした。
翌年の春、張澄基教授が中国文化学院の招聘状を携えて訪れ、幾度も語り合った末、導師は「生死の関を閉ざす」(解脱に至るまで閉関を続ける)という計画を改め、閉関を解いて台湾で初めての「法師教授」となりました。出関後も導師はたびたびここに戻って執筆を続けました。『妙雲集』の一部の編纂をはじめ、『原始仏教聖典の集成』『中国禅宗史』『中国古代民族神話と文化の研究』、自伝『平凡なる一生』などの重要な著作は、いずれも閉関中、あるいは出関後に戻った時期に完成したものです。妙雲蘭若は導師の思想において、「文字般若を受け継ぎ伝える」という歴史的な意義をもつ場所なのです。
妙雲蘭若は清らかで静かな環境にあります。大殿の正門の上には于右任氏の揮毫による「妙雲蘭若」の木の扁額が掛かり、両脇の石柱には弘一大師の対聯「無上勝妙の地、離垢清涼の園」が刻まれています。さらに導師の関房と遺品がきわめて良好に保存・修復されています。一代の大徳の言葉なき教えはすべてここにあり、訪れる人の心を奮い立たせ、往時をしのぶ思いを呼び起こします。
創建から半世紀近く、妙雲蘭若は初め導師自らが法務を司り、のちに慧理法師に引き継がれました。慧理法師と常光法師のもとで比丘尼の僧団が築かれ、妙雲学園が創設されました。さらに嘉義市の中心部に妙雲講堂と妙雲教育事務基金会を設け、導師の「内に修め、外に弘める」精神を受け継いで、導師の「人間仏教」の思想を着実に広めるとともに、理解と実践をともに重んじ、人としての菩薩行を歩んでいます。
蘭若は導師の「清淡」な気風を守り、長年トタン屋根の粗末な建物に身を置いて、冬は寒く夏は暑い歳月を何十年も過ごしてきました。住衆が次第に増えて建物は手狭になり、風化や浸食、地震による亀裂も重なって、長く住み続けるには適さない状態となりました。慧理法師と常光法師は、僧団の安定と衆生済度の長期的な展望から増築工事を決断するとともに、先見の明をもって、関房を博物館レベルの保存方法で原状のまま残すことにしました。
幾多の曲折を経て、ようやく隣接する土地を増築用地として購入することができました。民国92年(2003年)11月30日、導師自らが起工式を執り行いました。建設期間中は物価が高騰して資金繰りに苦しみましたが、二人の法師は重い病の苦しみに耐えながら各地を奔走し、広く寄付を募りました。その強い意志と無私の願力は弟子や信者たちを深く感動させ、皆が力を合わせ、塵も積もれば山となるように支えを積み重ねていきました。
民国94年(2005年)9月7日、正式に着工しました。延床面積は千坪余り、大殿や付属棟などの建物は480坪を占め、本体は地上6階・地下1階の構成です。地形に合わせて半円形の建物となりました。1〜3階は吹き抜けの大雄宝殿、4階は薬師殿、6階は禅堂です。5階は印順導師記念館として特別に計画され、歴史資料とデジタル技術を組み合わせ、映像と音声で導師の生涯を余すところなく伝えています。建物全体は、人を正しい信仰へと導く落ち着いた荘厳な外観と、新しい設備によって人々を正しい行いへと導く内容を備えています。人間仏教の理想を実践する姿が、まさにここにあります。
財力と物資に限りがあったため、妙雲蘭若の増築工事はきわめて困難なものでした。廖年吉・林淑花ご夫妻が率先して設備面を支援してくださり、10年という長い歳月の中で、出家者と在家信者が心をひとつにし、各地の施主の方々が力強く支えてくださったことで、増築工事はついに円満に完成しました。
ここに蘭若増築の由来を記し、事業を担った人々と、その恩恵を受ける人々の尽きることのない感謝を表し、永く記念するものです。
回向
一切の諸々の善法、同じく仏道に帰し
あらゆる衆生の類、究竟して成仏を得ん
仏暦2555年・民国100年(2011年)11月20日 三宝弟子 釈昭慧(玄奘大学文学院院長)謹誌